大学院へ進学

看護の仕事を続ける上で感じる辛さや苦悶、あるいは種々の疑問について、それを「大学院に進学する」というステップアップの形で知性化することは多いのかもしれません。私が大学院生になったときも若干そういう気持ちがありましたが、他の大学院に進学した看護師からもそのような声を耳にします。私は看護者自身のメンタルヘルスも大事だと考えていますが、なかなか支援体制が整いません。私は看護者の生の声を聞く度に、看護者は仕事の中で傷つき、疲れ果ててしまうことを実感します。たった一週間のうちに何人もの患者さんの死に遭遇した看護者は「病棟の誰もが辛かったと思うけれど、むしろ誰もそのことに触れようとしなかった。触れずにいたことで自分の気持ちの中にいつまでも留まってしまったような気がする」、また「もう、人が亡くなる病棟は嫌」と言って辞めた人もいました。さらに、悲惨な死に遭遇した看護者は「自分では結構、強いのかな?と思うほどだったけど、全然、平気ではなかった」と当時の自分を振り返り、苦しい胸の内を吐露しました。私自身も以前、助産師をしていたとき何度かの悲しい出来事が今でも忘れられません。その一つは、死産したわが子を産むための分娩を介助したことです。女性が陣痛の痛みに耐えられるのは、出産という喜ばしいゴールがあるからです。しかし、死産の場合、出産の時間は亡くなったわが子との対面のための時間なのです。お産になるまでの長い長い陣痛の時間をどのように励ましたらよいのか?まだ未熟な助産師だった私にはわかりませんでした。そして、お産は母親が赤ちゃんを産んであげるのではなく、赤ちゃん自身も必死に頑張ることで、母と子が力を合わせることで産むことができるのだと、そのお産で学びました。他にも、わが子の障害は自分のせいだと、責め続ける母親もいました。その母親を助産師として支援できない自分が本当に悲しかった。そのような経験の中で、私は心理学を学ぶことに興味をもち大学院へ進学しました。その当時、「疲れたので」という理由は口にしませんでしたが、大学院を希望した中には一度、臨床から離れたい気持ちもあったと思います。